ドイツ入国

ユングフラフヨッホより登山鉄道でグルンデルワルトまで下山した後は、バスでの長距離移動であった。その途中、スイスからオーストリアを経由し、ドイツへと入国した。スイスはシェンゲン協定に加盟したのが遅く、それまで国境にはパスポートコントロールがあった。(昔、ドイツ留学時は、スイスにスキーに行くには長蛇の列のパスポートコントロールに並ぶ必要があった。)その名残でスイスからオーストリアの国境は国の両サイドにゲートがあり(無人であったが)、国境を通過している感覚は若干ある。

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しかし、オーストリアとドイツの国境は、日本で都道府県をまたぐような感覚であり、ほとんどの学生が、その看板を見逃したのではないであろうか。高速道路移動中になんとか写真に収めることができただけなので、写りが悪くて申し訳ないが、ユーロのマーク(星を円状に並べたもの)の真ん中に「ドイツ」との記載のある。この看板が国境を意味しているのである。

途中、休憩を挟みながら、6時間ほどかけてドイツのフッセンという街に辿りついた。到着したのが夜8時でホテルで夕食となったが、日本風カレーライスや料理も魚料理で、日本食を欲する気持ちを少しは緩和できたのではないだろうか。

(追記)
今回、宿泊したホテル「ユーロ パーク インターナショナル」はwifiが有料であり、学生によっては申し込まなかった人も多いと思います。(これまでのホテルは無料だった。)そんな理由で連絡がなかったとしても心配しないでほしいと思います。

 

ユングフラウヨッホ研修

8月29日(月) ユングフラウヨッホ 曇一時晴

インターラーケンをバスで出発し、Lauterbruunenから登山電車に乗った。

途中、Kleine Scheidegg駅で登山電車を乗り換えるとき、ユングフラウJungfrauやメンヒMoenchの山頂が、ほぼ望め、これから向かうユングフラウヨッホの展望台も見え、天気がこのまま持つことを祈った。
Kleine Scheidegg駅からの登山電車では、2度ほど途中下車をした。アイガーEigerの北壁では、霧がかかって視界がいまいちであり、山頂の天気を気にしての乗車であった。

ユングフラウヨッホJungfraujoch, Top of Europe に到着したのきの風景がこちら。

登山鉄道を降り、エレベーターでスフィンクス展望台に登ったときの写真である。アイガー・メンヒ・ユングフラウの各山頂に雲がかかることもあるが、展望台は晴れ。日光が照りつける暖かいと思えるような最高のコンディションでした。
山頂以外にアレッチ氷河もしっかり望め、ホテルを出発するときにチェックした天気予報「曇り部分的に晴」が外れたのか、部分的の部分だったのか、どちらにしても非常に良い研修となった。

天気が優れなかった場合にも楽しめるよう設置してある展示をTOURの矢印に従って進み、再び、登山電車で下山した。ちなみに富士山5合目郵便局から寄贈された日本のポストに絵葉書を投函した学生も多く、ちょうど、集配の瞬間を写真に撮ったので、1週間程度で葉書が届くでしょう。

 

ホテル クリスタル

スイスではインターラーケンに1泊しかしないのだが、その滞在先Hotel CRYSTALを紹介する。別の日本人観光客の団体ツアーと遭遇するほど、日本人によく使われている宿のようです。

 

シングルルームはバスタブなしのシャワーのみの部屋でした。

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アメニティーは、こちら。髪の毛、手、全身洗い用の共通液体石鹸です。ドイツ語文化圏の合理性が、ホテルのアメニティーにも表れています。

たまたま、学生の部屋に入る機会があったので、ツインの部屋の様子も撮影しました。こちらの部屋はバスタブのあるタイプです。バスタブの有る無しなどは、日本人にとっては重要なポイントかもしれませんが、何人寝れるか(ベッドの数)しか重要ではないので、どんな部屋になるかは運・不運です。

 

フォンデュ・ブルギニョン

ローヌ氷河を研修後は、フルカ峠からグリムゼル峠を抜け、インターラーケンに入った。インターラーケンでの夕食は、全員集まっての郷土料理であるフォンデュ・ブルギニオンを食した。ミートフォンデュとかオイルフォンデュという言い方もある料理で、チーズフォンデュの場合はチーズが苦手な割合がある程度見込まれる団体旅行では採用されることが少ないようで、チーズの代わりにオイル、パンの代わりにお肉を使った、一種の鍋料理である。研修5日目となり、参加学生が打ち解け合い始めている様子が伺える。

ローヌ氷河研修

アンデルマットで昼食をとった後は、フルカ峠に向かった。フルカ峠ではローヌ氷河の中に入ることができた。

 

氷河の中に入ると、氷河が青く光っているのである。この研修に物理学科の私が引率しているので、氷河が青く見える理由が、空が青く見える理由と同じだろうと解説し、光のレイリー散乱が関与していることを説明したのだが、こんな説明は、ドイツ語より難解に聞こえていたように思える。

アンデルマット研修

8月28日(日)アンデルマット・インターラーケン 晴

スイスに入りアルプスの峠でゴッタルドトンネルに車が集中するため渋滞となった。16kmほどのトンネルで車の量をトンネル手前の信号機で調整している。

トンネルを抜け到着したのはアンデルマットという町でした。そこで昼食をとりました。

ただ、食事代は旅行代金に含まれていたのだが、飲み物代が別であり、その料金に唖然。具体的には、500cc程度のミネラルウォーターが6CHF(スイスフラン)。それでも美味しいから、この笑顔です。

 

rivellaを試す

高速道路であっけなくスイスに入ってしまったので、スイスらしいものにも、まだ、出会えず、最初に入ったサービスエリアで添乗員さんから聞いたスイスでしか売っていないrivellaという健康飲料を皆購入。

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味の方は、オロナミンCに近いというガイドさんの言う通りであり、また、スイス以外で売っていないのには、訳があるわけで、各自の表情で味を想像してもらいたい。

国境近くのサービスエリアだったので、私はユーロで払ったのだが、各自、日本で両替してきたスイスフランを使っていたようである。お金を使うことが最も国境を超えたことを実感できる出来事であったかも。

国境通過

イタリアからスイスへとバスに乗ったまま国境を通過した。国境を超えたところで景色が急に変わるわけでもなく、国境でバスを一旦停めて、5分ほど運転士さんが手続きをしただけでした。(国境のため写真はなし)

これからは私の得意分野のドイツ語文化圏に入ったことになる。やはり言葉が通じないのは歯がゆく感じるものであり、昨晩のホテル隣接のショッピングモールで買い物をした際、スーパーのレジのおばさんが、「サケット」「サケット」というから、夜遅いこともあり、「酒」は買えないのかなぁ~と一瞬頭を過ってまいました。イタリア語でスーパーのレジ袋を「サケット」というのに気づくのに1秒程度かかってしまいましたが、問題なく、「サケット」も購入して部屋に戻ることができました。たまたま覚えていたイタリア語だったので良かったのですが、イタリア語を流暢につかう二人の添乗員に脱帽です。
これからドイツ語だから会話ができるようになると思いがちですが、実は、スイスはドイツ語の訛がきつく、ほとんど理解できません。ただ、こちらが標準ドイツ語を話すと通じるので一方通行の会話となってしまいます。が、通行禁止が一方通行になるだけで雲泥の差です。

グランドホテル ドゥカ ディ マントヴァ

ミラノの宿は市内を離れミラノ近郊のGrand Hotel Duca Di Mantovaでした。ショッピングモールの上に建つホテルです、ミラノ研修後、遅くのチェックインでしたが、多くの学生がチェックイン後ショッピングモールでも買い物(食事)をしていました。

部屋の様子やアメニティーはこちらです。何となく思い立って衣類の洗濯をしました。すべてのホテルで浴槽が付いていたので、どのホテルで洗濯しても良かったのですが、浴槽に衣類と洗剤とお湯を入れ足で踏んで洗い、絞っては、すすぎを繰り返しました。ヨーロッパは乾燥しているとはいえ、さすがに一晩では衣類は乾きませんでしたが(乾いた衣類もある!)、湿ったままパッキングしてインターラーケンの宿でも干したいと思います。

最後に朝食の様子を

 

ミラノ研修

8月27日(土) ミラノ 晴

フィレンツェを出発したバスはミラノへ向かった。バカンス帰りの車が多く途中渋滞したが、予定より若干早くミラノに到着した。
ミラノは私自身は何度も訪問している街である。イタリアの中で最も都会な街であり、大学も数多くある。ミラノの大学教授との共同研究の成果を学術論文として出していることもあり、また、帰ってきたなぁというのが私自身の感想でもある。

ミラノに到着し最初に訪れたのはスフオルツェスコ城である。ミラノの現地ガイドは、やはり都会ミラノの雰囲気を醸し出す日本人であった。

続いて世界三大劇場の一つであるスカラ座の外観を見学し、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアと呼ばれるショッピングアーケードへと進んだ。アーケードを抜けるとミラノのシンボルであるドゥオモが現れた。

 

 

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ドゥオモの中には現地ガイドさんとともに入った。

ドゥオモの中に入るとステンドガラスの光が美しかった。ステンドガラスがそれぞれ、いつ作られたものなのか、鉛でガラスを合わせる作り方などの説明を受けた。その中で物理学科の私と関係のある話があったので紹介したいと思います。ステンドガラス用にガラスに色を付ける際に、様々な鉱石を使用するのですが、赤色を作るには、金ゴールドを使うのです。ガラスの中に入れると金色が赤色となるのは不思議かもしれませんが、ナノテクノロジーが関係する話なのです。

その後、解散となり、自由研修となったのであるが、ドゥオモの屋根の上に登る人が居たり、買い物に関しては、ほとんどの人が何かを買っていたようである。